大判例

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大阪高等裁判所 昭和61年(ネ)1207号 判決

控訴人

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

竹中邦夫

外一名

控訴人

大阪府

右代表者知事

岸昌

右訴訟代理人弁護士

道工隆三

井上隆晴

柳谷晏秀

青本悦男

右指定代理人

西沢良一

外五名

被控訴人

安田長久

被控訴人

戸田るり子

右両名訴訟代理人弁護士

中北龍太郎

主文

原判決中、控訴人ら敗訴部分をいずれも取り消す。

被控訴人らの控訴人らに対する各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

主文同旨の判決。

二  被控訴人ら

1  本件各控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

一  当事者双方の主張は、次に付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

二  控訴人国

1  裁判官の職務活動と国家賠償責任

(一) 最高裁判例の趣旨

(1) 最高裁昭和五七年三月一二日判決・民集三六巻三号三二九頁(以下「昭和五七年判例」という。)は、裁判の違法を理由とする国家賠償責任につき、訴訟法上の救済方法により是正されるべき瑕疵の存在すること、付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることをその成立要件とする旨を判示したものであり、その意味で裁判の違法を理由とする国家賠償責任について、国家賠償の適用を制限するものであり、また国家賠償責任が認められるべき要件を明らかにしたという点で従前の議論に終止符を打つものとしての意義が認められるものである。ところで、昭和五七年判例は、その前提として「争訟の裁判であること」を要件とするもののごとく見えるが、以下述べるように当該事案が「争訟の裁判」に関するものであつたために、「争訟の裁判」という表現を用いたにすぎないものと解すべきである。

すなわち、最高裁昭和四三年三月一五日判決・裁判集民事九〇号六五五頁(以下「昭和四三年判例」という。)は、法廷等の秩序維持に関する法律による制裁決定についての国家賠償事件に関するものであり、最高裁昭和五七年二月二三日判決・民集三六巻二号一五四頁は、不動産の強制競売手続の「進行」についての国家賠償事件に関するものであつて、いずれも「争訟の裁判」に関するものではないが、昭和五七年判例と理論及び結論を同じくするものである。昭和四三年判例は、後訴において前訴の裁判の違法を主張して、国に対し国家賠償請求をすることに一定の制限があるとする制限説の立場を採用したものである。その後、争訟事件に関する限り下級審判決例において大きな混乱が見られず、最高裁判所が統一的な判断を示す必要が存しないことに照らせば、昭和五七年判例が「争訟の裁判」と判示したのは、たまたま当該事案が争訟の裁判に関するものであつたためであつて、それ以上に裁判官の国家賠償責任につき特に争訟の裁判に限定した判断を示したものとは到底考え難い。

(2) 適用制限説を採る根拠としては、まず第一に裁判官独立の原則がある。憲法七六条三項は、裁判官をして自由かつ公平な職権の行使をなさしめるためには、何人の指揮命令も受けないという職権の独立及び職権の行使によりその身分等が他から脅かされることがないという身分の保障が不可欠なものであるという裁判官の独立の原則を宣言したものである。裁判官は、本来、法内在的良心にのみ拘束されるべきものであるが、他からの指揮命令はもとより職権行使の結果自己に波及する不利益(本件に即して言えば、国家賠償による求償)への懸念によつても、自由かつ公平な職権の行使はこれを期し得なくなつてしまう。例えば、法内在的良心という場合の「法」には判例法も含まれるというべきであるが、最高裁判所の明白に確立された判例と客観的に牴触する裁判例もしばしば存在するし、そうした裁判例の集積の結果、判例法の変遷を見ることもまた我々の経験するところである。しかし、裁判官の当該職権の行使が法内在的良心に従つたものか、あるいはこれと矛盾する個人的良心に従つたものかは、外部から客観的基準により計ることはできないし、これを計ろうとする場合にあつては、裁判官が職権の行使に当たり、「公平」ではなく、「無難」な裁判を旨とするおそれが生じ得ることも考えられるところである。本判決の指向する裁判官の職務活動に関する国家賠償を制限しようとする立場は、裁判官が自己の法内在的良心に従い、忠実にその職務を遂行する限り、他からその違法の有無又は当否につき審査され自己に不利益が及ぶという懸念から免れしめ、もつて自由かつ公平な裁判を期するという公益の目的上、きわめて重要なものといわなければならない。そして、誤解すべきでないのは、右立場は決して瑕疵ある裁判をなした裁判官の保護自体を目的とするのではなく、その保護を通じて広く裁判官一般の公平な職権の行使を期するものであるということである。

適用制限説を採る第二の根拠としては、裁判制度の本質が挙げられる。裁判は、上訴を経て、又はそれを経ることができなくなつて、当該訴訟手続上形式的に確定したときには、他の訴訟手続との関係でもその判断内容を不可争のものとして終局的に確定させ、その結果初めて右判断内容につき法的安定性を図り、法的紛争の公権的解決という裁判の制度目的を達成することができ、法的安定性が維持されるのである。国家の意思として確定した裁判を再び司法機関により審査させることは、確定裁判と異なる内容の裁判の存在を前提とするものであり、法的安定の基礎である確定力制度と矛盾することとなるのである。また、法は、裁判における事実誤認や法令の解釈、適用の誤りといつた裁判に通常随伴する瑕疵については、これを是正し、より適正な裁判の実現を確保するための制度として、上訴、再審の制度を設け、ある裁判を不服とする当事者にこれらに訴える途を開いているのであるが、もし裁判の瑕疵を理由に直ちに国家賠償を請求し得るものとすれば、審級制度の意義は忘却されることとなるのである。

適用制限説を採る第三の根拠としては、裁判行為の特質が挙げられる。そもそも裁判という作用は、判断する者のいかんによつて意見の分かれ得るような問題についての結論の選択という要素を含むものであつて、ある裁判官にとつては甲という判断が正しいと考えられても、他の裁判官にとつては乙という結論が正しいと考えられる可能性が常に存在し、そのいずれが客観的に正しいかについては決め手がないともいえるような性質のものなのである。そして証拠により事実を認定するについては、認定する者の恣意に放任されるべきでないことはもちろんであるが、事実の認定というのは、証拠の自由な評価と多様な経験則の適用という純粋思惟作用であつて、その当否を絶対的、客観的な真実合致性という基準から判断することは不可能である(訴訟法が自由心証主義を採用しているゆえんもここにある)。同様に法令の解釈も一義的に決せられるものについてはともかくとして、多くは相対的性格を具有するものであり、絶対的真実というものはこれまた存しないものである。

右第一ないし第三の根拠は、いわば全体となつて適用制限説の根拠となるものというべきであるが、いずれも裁判官の行う裁判に共通のものであり、「争訟の裁判」に特有のものでないことは明らかである。したがつて、適用制限説を採る実質的根拠からも昭和五七年判例の判旨が「争訟の裁判」に限定されるものとの見解は採り得ないのである。

(二) 違法性

(1) 昭和四三年判例は、裁判官の行為について国家賠償が認められるために「特段の事情」を要するとするのみで、その具体的内容を提示しなかつたが、昭和五七年判例はその点をさらに具体化して「違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別な事情」としている。裁判官が私利私欲に駆られ、あるいは専ら私怨をはらす意図のもとに裁判をしたとすれば、それは外形的には裁判官のなした裁判であつても、それは実質的にはもはや「裁判」ということができず、したがつて、これにより損害を被つた者は、当然に国家賠償を請求し得るものと解すべきであり、前記例示も右趣旨を明らかにしたものというべきである。

(2) ところで、右「特別の事情」があるというためには、①裁判官の主観的な害意の存在を必要とするという見解と、②その是正を専ら上訴又は再審によるべきものとすることが不相当と解されるほどに著しい客観的な行為規範への違反がある場合であるとする見解とが考えうるが、裁判官の職務行為の違法性につき、前記例示のようにより限定的に判断しようとしている趣旨からすると、右①の見解によるべきである。また、右例示の内容に照らせば、裁判官の職務行為が国家賠償法にいう違法な行為に当たるというためには、単に「裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をした」と抽象的に主張し、「裁判官の行為の一定の重要な瑕疵の存在」そのものを「付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうる事情」の懲憑とすることは許されず、右の「事情」に関する具体的な事実関係の主張と立証を要するものと解すべきである。

本件についてみると、犯罪の嫌疑が存するかどうかは、担当裁判官の自由心証に属する事実認定ないし相対性を有する法律解釈に起因するものというべきところ、右事由が「特別の事情」に当たらないことは前述のところから明らかであり、それ以上本件において「特別の事情」についての主張立証がない。したがつて、本件では国家賠償が認められる要件を欠くものであるから、控訴人国が損害賠償責任を負うべき理由はないというべきである。

2  本件許可状発付の際の嫌疑の存在について

(一) 嫌疑の対象

(1) 本件各捜索差押許可状の請求書の被疑事実の文言をみれば、本件ビラそのものについて御名御璽偽造罪が成立するかのような構成となつていることは否定し得ないところである。しかしながら、右請求書の「押収すべき物」欄には、第一に「ビラの印刷に使用した御名御璽の原版、原紙」が挙げられており、令状請求者が右「原版、原紙」を偽造罪の対象としていたことがうかがわれるのであり、かつ、被疑事実中に「御名及び御璽を記した文書を転写登載し」という文言があるからである(もし、本件ビラにある御名御璽の偽造をいうのであれば、端的に「御名御璽を登載し」と記載すれば足りるはずである)。このようにもともと捜査初期の捜索差押許可状の請求の段階では、いまだ被疑事実の法律的な構成を、あたかも起訴状における公訴事実の記載のように明確に示すことが困難な状況にあることは多く、捜索差押許可状の請求書の被疑事実として不正確な記載がされることも避けられないところである。したがつて、令状請求の被疑事実が何かを判断するに当たつて、原判決のように請求書の被疑事実の文言のみに依拠することは相当でないというべきである。

(2) 本件については、令状請求者は、本件ビラを入手し、これを子細に検討し、本文部分と御名御璽部分の間に罫紙の上下の線にくい違いがみられ、明らかに継ぎ足した痕跡が認められたので、本件ビラとは別に御名御璽部分を偽造したのち、本件ビラにこれを転写登載したものと判断して、令状請求をなしたのであるから、これらの事情からすれば、元の御名御璽が捜査の対象となつていたことは明らかである。

(3) このように、本件各捜索差押許可状の請求に当つては、本件ビラの御名御璽部分のもととなつている御名御璽の原版、原紙を問題にしていたのであるから、原判決のように、本件ビラの御名御璽部分が真正なものと比べて小さいことや黒一色で印刷されたものであることなどは、何ら本件の「嫌疑の存在」の有無には関係がなかつたのである。したがつて、原判決が本件ビラに記載された御名御璽について御名御璽偽造罪に該当するものといえないことは明白であるとしたのは、その前提を誤つたものといわざるをえない。

(二) 行使の目的

(1) 原判決が嫌疑が存在しないとして挙げるのは「行使の目的」についてであるが、「行使の目的」は、いわゆる主観的構成要件要素であり、このような内心の事実を証明するためには、通常は被疑者の自白や具体的な状況証拠によらざるを得ないと考えられるところ、捜査の初期においては、被疑者の自白を得られないことは当然であるうえ、具体的な状況証拠を入手することも極めて困難であるから、捜索差押許可状の請求の際に、「行使の目的」に関する資料として自白ないし具体的な状況証拠の提出を期待することはそもそも無理だといわなければならない。したがつて、一般に偽造罪に関しては、偽造した文書、署名等が真正なものに極めて近似しているなどといつた文書、署名等の態様などから「行使の目的」を推認し、この点に関する資料ありと判断することも相当の合理性があるというべきである。このことは、刑事訴訟法が逮捕の要件については「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」を要する旨規定している(一九九条一項本文)のに対し、捜索差押の要件については、「犯罪の捜査をするについて必要があるとき」と規定する(二一八条一項)に過ぎず、これを受けた刑事訴訟規則も捜索差押の請求をするには「被疑者又は被告人が罪を犯したと思料されるべき資料を提供しなければならない」と規定する(一五六条一項)にとどまつており、捜索差押の要件が逮捕の要件と比べてはるかに穏やかなことからも首肯し得るところである。

そして本件においては、本件ビラから真正な御名御璽に極めて近似したものを偽造していることがうかがわれるうえ、控訴人大阪府主張の後記三2(二)のような事情も存したのであるから、これらの事実から「行使の目的」があると認めたことにつき相当の合理性があるというべきであり、原判決が判示するように「嫌疑を認めるに足りる資料はなかつた」とは到底解せられないのである。

(2) また原判決は、偽造の目的が「専ら」本件ビラを作成するためのものであると推認できると判示するが、本件においては偽造の目的の一つが本件ビラの作成にあることは推認できるとしても、令状発付時において、本件ビラを作成するためだけに御名御璽の原版が作られたと推認することは到底できないところであり、原判決の右判示は全く独断というほかない。

(3) ところで、署名偽造、同行使は、文書偽造、同行使の未遂的な形態と理解されているから、公文書偽造、同行使が成立しない場合にも、その未遂的形態である署名偽造、同行使が成立する余地のあることは当然のところである。そうすると、本件ビラの内容が荒唐無稽であることから、ビラの作成をもつて公文書偽造に当たるとすることができないとしても、このビラに複写された御名御璽が真実の御名御璽の複写に極めて近似しており、ビラの作成者は、これを真正な御名御璽の複写であるように装う意図をもつてあえてビラに顕出したものと推測されることからすれば、ビラの内容から直ちに御名御璽の行使の目的がないと断定することができないと考えることも十分可能なところである。

したがつて、この点からも捜査の初期の段階において、本件について行使の目的がなかつたと断定することはできないのである。

三  控訴人大阪府

1  御名御璽偽造罪の該当性

(一) 大阪府警は、本件ビラを入手したので、これを子細に検討したところ、本件ビラの御名御璽部分は通常人が御名御璽と誤信する外観形状を備えており、しかも本文部文と御名御璽部分の間に罫紙の上下の線にくい違いがみられ、明らかに継ぎ足した痕跡が認められたので、本件ビラとは別に御名御璽部分を偽造したのち、本件ビラにこれを転写登載したものと判断した。本件各捜索差押許可状の請求書の被疑事実の記載内容が原判決判示のごとき誤解を招くものとなつていることは否定しないが、本件ビラの御名御璽部分のもとになつている原版、原紙を未だ入手していないため、本件ビラをもとにして御名御璽の偽造の被疑事実を摘示せざるを得ないところから、いきおい本件ビラに重きをおいた記載になつてしまつたのである。しかし、被疑事実に、「御名御璽を記した文章を転写登載し」と記載しているところからして、本件ビラの御名御璽ではなく、そのもととなつている御名御璽の原版、原紙を偽造罪の対象としていることが知れるのである。また、それだからこそ、御名御璽の原版、原紙を差押物件としてあげているのである。

(二) 原判決は、本件ビラに御名御璽類似部分を転写登載した行為のみをもつて御名御璽偽造罪に該当するものとしてなされたことが明らかであるというが、転写登載した行為だけをいうならば、それは使用行為であつて、偽造行為ではなくなり、御名御璽偽造罪として立件されていなかつたはずである。また、本件ビラにある御名御璽の偽造をいうのであれば、端的に「御名御璽を登載し」とのみ記載していたはずである。このように、本件ビラの御名御璽部分のもととなつている御名御璽の原版、原紙を問題にしているのであるから、本件ビラの御名御璽部分が真正な御名御璽に比して小さいとか、黒一色で印刷されているとかは問題ではなかつたのである。本件における御名御璽の原版、原紙がどのようなものかは、押収により入手してみて初めて知りうることなのである。したがつて、本件ビラに記載された御名御璽から、御名御璽偽造罪に該当するものといえないことは明白であるとする原判決の判示は誤つたものである。

2  嫌疑を認めるに足る資料

(一) 捜索差押の段階は、捜査の初期的段階であり、証拠隠滅のおそれにより関係者からの事情聴取もなし難いところから、いわゆる主観的違法要素である行使の目的を明確にすることは非常に困難である。したがつて、捜索差押令状請求時における捜査官の行使の目的についての判断は、それまでの捜査結果等の外形的事実から判断してそれが社会通念上著しく妥当性を欠くものでないかぎり、相当であるとみるべきであり、或いは、捜査のための令状請求の場合、捜査官において犯罪が存在すると考えたことについて、当時の資料のもとで、常識上到底首肯し得ないほど合理性を欠く重大な過誤が認められる場合に限り、捜査官の捜査活動が違法になるものと解するのが相当であるとみるべきである。

(二) 本件において、次の諸点から本件ビラに用いられた御名御璽を使つて真正なものと誤信させる文書を作成する疑いがあつたのである。

(1) 本件ビラに用いられた御名御璽は本文と別個につくられており、他の文書にも使用可能であること。

(2) 本件ビラは、本文の内容はともかくとして、形式において御名御璽文書に似せて作られていること。

(3) この御名御璽を偽造したと疑われる者は、WRI日本部の構成員又は同調者であるが、このWRI日本部なるものは天皇批判をも目的としている団体であり、この構成員又は同調者は御名御璽を使つて真正なものと誤信させる文書を作成する可能性が十分に考えられること。

(4) WRI日本部の構成員である被控訴人らは、過去にも二回、天皇誹謗文書を大阪商大において貼付したことで建造物侵入、軽犯罪法違反にて、また模造一万円札を散布したことで道路交通法違反にて、捜索差押を受けていること。

3  ビラの配布を予防する目的

(一) 本件各捜索差押許可状の請求書の被疑事実中に本件ビラの使用目的が記載されたのは、本件ビラにとらわれすぎたがためにすぎないのであつて、他に意図があるわけでない。これが書いてあろうとなかろうと、「第三信」のビラの内容よりその使用目的は容易に知りうることであるから、この記載を原判決のごとくにうがつて見ることは、余りにも偏頗な見方である。捜査官として、本件ビラについてあらゆる法の適用を検討することは当然のことであり、原判決が、名誉毀損罪等の犯罪を検討しこれの適用を保留したことをもつて、本件許可状の請求を本件ビラの散布の未然防止を主たる目的であると疑うこと自体、全く合理的な根拠に基づかない偏頗な判断である。捜査官が本件ビラに関して御名御璽偽造罪の嫌疑をもつたとき、先ず関係先の捜索差押を行うのは捜査の常道であつて、それ自体何ら特異なことではないし、捜査の目的が主であることは明白なことである。

(二) 原判決は、表現の自由の憲法条項をひいて本件各捜索差押許可状の請求を非難するが、右請求が犯罪捜査のためになされる限り、その捜索差押によつて結果的に差押えられた文書の配布が不可能になつても、それだからといつて当然に右請求が違法となるものではない。いわんや、それらの文書が、例えば、名誉毀損文書やわいせつ文書であるときは尚更である。本件においても、本件ビラの散布が名誉毀損罪、侮辱罪、道路交通法違反といつた犯罪を構成するとみられるのであり、この点からしても、本件捜索差押によつて結果的に本件ビラの散布ができなくなつたことについて、表現の自由の侵害であるとして非難されるいわれはない。

4  司法警察員の過失

(一) 捜索差押許可状請求の場合、逮捕状の場合に比し一段低い嫌疑の程度で足りるのであり、司法警察員警部吉村巳子三が、控訴人大阪府において主張する事情のもとにおいて、本件ビラによつて御名御璽偽造罪の嫌疑をもつたこと自体に何ら過失は存しない。

(二) 令状制度は、言うまでもなく、捜索差押の要件、必要性について裁判官の判断を経させることによつて、その適法性を担保しているのである。したがつて、令状請求において捜査官が捏造した資料を提示したり、故意に不利な資料を提示しなかつたりした場合はともかくとして、捜査官が犯罪の嫌疑があると考えた資料をそのまま裁判官に提示し、その裁判官の判断を経て令状が発付された限り、その令状に基づく捜索差押には何ら違法はないというべきである。

三  被控訴人

1  裁判官の職務活動と国家賠償責任

(一) 昭和五七年判例の位置づけ

(1) 昭和五七年判例は、「争訟の裁判」について国家賠償法の適用要件について判断したことは一義的に明確であつて、その判示からして争訟の裁判に限定していないとの根拠はどこにも見られないのである。更にいえば、右判決が単に「裁判」とはせず、「争訟の裁判」と明記したのは、その表現の中に「争訟の裁判」の性格に着目し厳格な要件を課したとも考えられるのである。

(2) 従来、裁判官の職務行為に対する国家賠償法の適用については、一般に肯定説、制限説、否定説の対立があるといわれている。しかし、実際にその制限ないし否定説が問題にしているのは、確定裁判に対する場合であつて、その他の場合、たとえば上級審等で是正された裁判や、逮捕勾留等の過誤を主張する裁判についてまで適用を否定する説はごく少数を除いて見受けられない。この少数説は、英米の司法免責権を下敷きにしてわが国でも同様の免責を認めるべきだとするもので、法制度の歴然たる相違がある以上解釈論としては孤立した異説に過ぎない。学説、判例とも、争訟の裁判と決定・命令を区別して論じてきていたのである。最高裁においても、決定・命令の違法を争つた事例について、国家賠償法の適用があることを前提に実質的判断を加えている(最判昭和四一年四月二二日民集二〇巻八〇三頁、最判昭和二八年一一月一〇日民集七巻一一七七頁、最判昭和三五年五月二四日諸問題(追補二)四五二頁、最判昭和三七年七月三日民集一六巻一四〇八頁)。このように、最高裁は決定・命令の違法を争う国家賠償事件には国家賠償法の適用を肯定する立場に立つていたのであり、制限説は採つていないのである。

(3) 近年、争訟の裁判について適用制限説が増加し、そのような状況下で昭和五七年判例が出されたが、だからといつて、控訴人国のいうように争訟の裁判について最高裁が判断を示す必要はないとはいえないのである。特に制限説の中にもその要件は区々であつたことや四三年判例には先例的価値が乏しいことから尚更である。従来の判例の流れからいつても、昭和五七年判例が争訟の裁判以外についても国家賠償法の適用を同じ要件の下で制限したとか、右適用要件は争訟の裁判に限定されず広く敷衍されるのだということを導き出すことはできない。しかも、昭和四三年判例は、法廷等の秩序維持に関する法律違反に関するものであり、右法律違反としての処分は、形式的には決定であるが、この処分の特殊性から実質的には判決に準ずるものであつて、他の決定、命令とは性格を異にすることから争訟の裁判に関する国家賠償法の適用と同種問題と扱われたのである。また、最高裁昭和五七年二月二三日判決は、不服申立手続きを採りそれによつてその誤まりを正してもなお原処分により不利益を受けた者の損害を賠償することまでを否定したものでないことは明白である。しかも、右判決は、強制執行手続における特殊性から導かれたものである。

(4) 以上から、昭和五七年判例は、昭和四三年判例や昭和五七年二月二三日判決及びそれまでの判例の動きを併せて考えたとしても、争訟の裁判以外の決定・命令一般にまで射程範囲が及ぶものではないし、また、原処分が有効・適法と確定されずむしろ逆に不服申立手続で違法として取り消された決定や命令にまで及ぶとは到底認められないのである。控訴人国の主張は、最高裁判決の文理・趣旨を歪曲し独断でその射程範囲を拡張するものとの批判を甘受しなければならない。

(二) 適用制限説の根拠

(1) 控訴人国は、適用制限説の根拠である、裁判官独立の原則、裁判制度の本質及び裁判行為の特質は、裁判官の行う裁判に共通のものであり、争訟の裁判に特有のものでないから、昭和五七年判例は争訟の裁判に限定されないと主張する。しかし、控訴人国が挙げる理由が妥当か、昭和五七年判例の制限説の根拠、対象となつた裁判の性格の相違、上訴の有無や確定した結果の相違等から考えて、右主張が失当であることは明白である。

(2) 第一に、控訴人国が挙げる適用制限説の根拠自体、多大の問題点がある。まず、裁判官独立論であるが、裁判官独立の内容として裁判官無答責が導き出されるとはいえず、国家賠償法の適用と裁判官の独立とは基本的に無関係であつて、裁判所も権力機関の一翼であるから、それが私人に損害を及ぼした場合、他の国家機関と異なり裁判官の独立を根拠に厳しい要件設定をもち出して無答責を主張することはできない。次いで、裁判制度の本質論であるが、確定判決の事実認定・法令の解釈適用そのものを別訴で争うのではなく、発生した損害を国に負わせるための契機として確定判決の事実認定等を攻撃することを許さねば、損害を被つたものに忍従を強いることになり、また、刑事判決に民事判決に対する拘束力がなく、刑事被告人に対する損害賠償請求では同人は有罪判決を争いうるのに、刑事被告人が原告となつて有罪判決を争えないという結論を正当とはいえないとの難点がある。裁判行為の特殊性論は、裁判官の判断が相対的性格を有することは肯定できるとしても、それにもおのずから限界があり、そのわく内での判断の相違が是認されるとしてもそれを越える過誤は生じるのであつて、その場合にも広く無答責だとの結論を導き出すことはできない。

第二に、昭和五七年判例が、争訟の裁判に国家賠償法の適用を制限した理由について、その論拠は示されていない。従つて、右判決が、適用制限説の根拠として控訴人国が挙げる理由によるものか、また、そのいずれが論拠とされたかは不明である。なお、最高裁昭和五七年二月二三日判決は、前述のとおり強制執行手続の特殊性と手続内において設けられた第一次的救済手段を用いなかつたため生じた過失を国に転嫁することは妥当でないとの理由によるものと考えられる。また、昭和五七年判例の事案は、上訴せずに原判決確定後、国家賠償請求訴訟を提起したものであつて、それが上訴による是正の原因となるのは格別との文言があることから、本来の不服申立手段をとらなかつたため生じた損害を国に転嫁することは許されないとの理由によるものと考える余地が充分ある。

第三に、昭和五七年判例は、「争訟の裁判」と明示しており、争訟とは、原判決もいうように、権利又は法律関係の存否について関係当事者間に争いがある場合に、国家機関が、当事者の申立に基づき当事者双方の主張を聴いた上で公権力をもつて、右権利又は法律関係の存否を終局的に確定する手続を意味する。国家賠償法の適用制限は、明文の制限規定がない以上、その適用制限は行なわれた裁判の性格や不服申立制度の在り方との関係から導き出されるのであるから、争訟と本件の如き決定とで差が出て当然である。

第四に、昭和五七年判例は、その理由が上訴しなかつたことにより受けた損害を国に転換できない、あるいは、それに加えて確定裁判の適否を審判の対象とすることは裁判法的安定性を害するという点にあつたとしても、本件まで右判決と同じ要件で国家賠償法の適用が制限されるということにはならない。すなわち、本件は、取り消された裁判につき取消により回復し難い損害の賠償が請求された場合には、昭和五七年判例の論拠は全く当てはまらず、右判決の射程範囲外であることは明白である。また、裁判官の独立の要請といつても、裁判官の職務活動に国家賠償法の適用がないとの明文規定のない現行法の下で、国家有責、専断司法の防止との調和が考えられなければならず、無答責や狭く制限できる論拠たりえず、その要請が働く場面も裁判の種類により自ずから差異がある。

2  本件捜索差押許可状の請求・発付の違法性

(一) 嫌疑の内容

(1) 控訴人らは、原審より、捜査当局が嫌疑をもつたのは本件ビラの御名御璽類似部分を作出した行為ではなく、同部分の原板作成行為であると主張し、本件各捜索差押許可状の発付を請求した司法警察員吉村巳子三も同旨の証言をする。しかし、本件各捜索差押許可状の請求書に記載された犯罪事実の要旨及びこれと全く同じ文言であつた本件各捜索差押許可状記載の被疑事実の要旨の記載から、本件各許可状請求及び発付は本件ビラに御名御璽類似部分を転写登載した行為のみをもつて御名御璽偽造罪に該当するものとしてなされたことが一目瞭然である。

(2) 控訴人らの主張は、嫌疑の内容すなわち御名御璽偽造とされた行為を確定する上で最も重要な判断資料たる本件各許可状請求書及び本件各許可状の犯罪事実ないし被疑事実の要旨の記載から一義的に明白に導かれる結論を少しも揺がしえていない。刑法学上、印章・署名の使用とは印章・署名の影蹟を真正なものとしてその用法にしたがい他人に対して使用することであつて、使用といえるためには、単に印影・署名を文書その他の物の上に顕出せしめるだけでは足りないのであつて、その影跡をすくなくとも他人の閲覧することのできる状態に置くことが必要とされる。また、印章の偽造とは、印影を現出した場合と印顆(形)そのものの偽造を完成した場合とを含むとされる。なお、判例、通説は印顆そのもののの偽造を完成させることをも含むとし、これには少数の反対説があるものの、印影を現出した場合が偽造に当たることに全く異論はない。このような正しい刑法解釈からすれば、一般的に、転写登載も、印影・署名を作出する方法であるから、偽造行為であつて、それ自体は使用行為ではない。しかるに、控訴人らは、転写登載した行為だけをいうならばそれは使用行為であると主張しており、初歩的な誤謬を犯した上で論を立てているのである。

(3) 従つて、継ぎ足した痕跡があり、別に原板を作成したと判断されたとか、「転写」という字句が記載されているとかとは、原板作成行為が本件被疑事実の対象としていたと主張する理由にはならないのである。ちなみに、転写が記載されたのは登載の方法を特定するために記載されたに過ぎないと考えるのが素直な解釈というものであろう。また、控訴人らは、御名御璽類似部分の原紙、原板を差押物件としてあげていることをその理由に挙げる。しかし、これをもつて、右主張を裏付けることは到底無理である。本件ビラへの転写登載をもつて犯罪と考えていたとしても、右原板、原紙はその差押対象となると思慮しても何ら不自然ではないからである。むしろ、控訴人らの主張は、差押物件として請求書や許可状に「二、右御名御璽が印刷されているビラ、三、右ビラの印刷、製造配布に関する計画書ビラ、日記帳、手帳、メモ類、四、右ビラの印刷、製造配布に関する注文書、納付書、請求書、領収書、及び、金銭出納帳、五、ビラの配送先に関する名簿、住所録、電話控帳、及び発送控書類」と記載されていることと決定的に矛盾するのである。これら記載された差押物件から本件ビラへの転写登載を犯罪捜査の対象としていたことは一点の疑う余地もないからである。

(二) 御名御璽偽造罪の非該当性

御名御璽の偽造といえるためには、通常人をして御名御璽と誤信させるに足りる程度のものであることを必要とすることはいうまでもない。しかるところ、本件は到底偽造行為があつたものといえない。本件ビラの御名御璽部分が不真正であることは一見して明白というべきである。そうすると、本件ビラの御名御璽部分については、刑法一六四条の御名御璽偽造罪が成立する余地はない。

(三) 行使の目的の不存在

本件ビラに御名御璽類似部分を転写搭載する行為に「行使の目的」があるとは到底いえない。「行使の目的」ありといえるためには、真正なものとして使用することが絶対の要件である。

原判決も、「本件ビラの体裁や記載内容及び第三信ビラの内容からすれば、本件ビラの作成者が右御名御璽類似部分を作成したときにおいてこれを真正な御名御璽として行使する目的を有していたとは到底みることができず」と判断し、この点控訴人らも争わず、証人吉村巳子三も認めている。請求書や許可状の被疑事実の記載、記載された差押物件、第三信のビラ、捜査の経過すなわち捜査官は本件ビラの撒布に着目しこれが名誉毀損罪等の犯罪に当たるのではないかと考えて捜査方法を検討し、その結果本件各捜索差押許可状の請求に至つたこと等、諸般の事実はそれぞれすべて本件ビラへの転写登載を行使の目的と考えていたことを十二分に裏付けているのである。

他方、控訴人らが挙げる、他の文書にも使用可能であること、本件ビラは形式において御名御璽文書に似せて作られていること、発行者と疑われている者が天皇批判の団体であること及び過去の行動はどれ一つとしてまたすべてを参酌したとしても、他の文書に転写登載する目的があつたことを推認させるものではない。他の文書への使用可能性と使用する可能性とは全く異なること、本件ビラの文書の形式とそれが他の真正なものと誤信する文書に使用する可能性とは関連がないこと、天皇批判の団体との点は天皇批判の方法についてパロディーを用いて行なうことと真正なものと誤信させる文書も作成することとは本質的に異なること、過去の行動は真正なものと誤信させる文書作成行為とは無関係であるなど、およそ控訴人の主張を合理化しえない。この主張は、本件ビラ、第三信ビラ、被疑事実、差押物件、捜査過程等から明白に導かれる前記判断を微動もさせることはできないのである。

なお、常識的にいつて、他の印章・署名偽造に比し、御名御璽を真正なものとして作出することは、はるかに困難であり、そのうえ原版が印刷物であるから尚更、御名御璽偽造行為は極めて困難であることが銘記されなければならない。御名御璽類似部分を使用してパロディー文書を作成したとしても、それ以上に真正なものと誤信させる御名御璽文書を作りうる実現可能性とは大きな隔りがある。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一原審における被控訴人各本人尋問の結果によれば、請求原因1の事実(当事者の職業)を認めることができる。

二請求原因2の各事実(本件各捜索差押許可状の発付及びその請求と捜索差押)は、当事者間に争いがない(但し、同2(三)の事実は、被控訴人らと控訴人国との間においては、〈証拠〉により、これを認めることができる。)。

三被控訴人らは、本件各捜索差押許可状の請求及び捜索差押処分が違法であると主張するので判断する。

1  〈証拠〉及び右争いのない事実を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆えすに足る証拠はない。

(一)  大阪府警察本部警備部は、昭和五九年一二月下旬頃、本件ビラに「見本」と手書きした見本ビラ及び「第三信″ちよつとおもしろいたずら遊び″への御案内」と題した一九八四年一二月一九日作成日付のあるビラ(以下「第三信ビラ」という。)を入手した。

(二)  右見本ビラは、縦約一三センチメートル、横約一七センチメートル大のもので、両面とも黒一色で印刷され、その片面の中央には「裕仁」の署名及び一辺が約二・五センチメートルの御璽の体裁を成す印影が存し、その右側には一見詔書のような形式で天皇若しくは天皇制を揶揄する文章が記載され、御名御璽部分の左側には裕仁天皇の顔写真が転写されているほか、「謹賀新年」「これはゴミです 拾つてはいけません」との文言が記載されており、また、裏面には、裕仁天皇の黒枠写真が載せられ、「賀正」「ご遺言」の文言と天皇若しくは天皇制を中傷する文章等が記載されていた。

(三)  一方、第三信ビラには、昭和五九年一二月二九日ないし同月三〇日頃に本件ビラ一包五〇〇枚を送付するが、これは人に踏ませるために作成したものであるから、同月三一日の午後一〇時以降昭和六〇年一月三日までの間に不特定多数人の歩く路上等にばらまいて欲しい、夜間にまいておくのが一番やりやすい等の記載があり、末尾に控訴人安田の通称が記されていた。

(四)  大阪府警察本部警備部は、本件ビラの作成、存在を刑事事件として問題とし、これを子細に検討したところ、ビラの文章部分と御名御璽部分との間に、罫紙の上下の線にくい違いがあり、明らかに継ぎ足した痕跡があることを看取したので、右御名御璽部分の原版、原紙が作成され、これが存在しているのではないかと疑い、本件ビラの作成に関して何らかの犯罪を構成するかどうかの検討を始め、宮内庁に対して見本ビラを送付してその御名御璽部分の真正を問い合わせたところ、右部分は真正な御名御璽と極めて類似しているが、真正なものは一辺が九・〇九センチメートルである旨の回答を得た。そこで、大阪府警察本部警備部は、本件ビラの御名御璽部分の原版、原紙が別に作成され、これを縮少して本件ビラに転写印刷されたものではないかとの疑いを強め、右原版、原紙の作成が御名御璽偽造罪に該当するものと判断し、これを捜索差押するために裁判所に対して捜索差押許可状の発付を求めるべきものであるとの結論に達した。これを受けて、同部警備第一課所属の司法警察員である吉村巳子三は、昭和五九年一二月二七日、控訴人安田及び同人が戦争抵抗者インターナショナル日本部の事務所として使用しているアパートの賃借人である控訴人戸田の各居宅等を捜索場所として、前記のとおり、各捜索差押許可状五通の発付を請求した。

(五)  ところで、右各捜索差押許可状の各請求書の「犯罪事実の要旨」の欄には同各許可状記載の被疑事実と全く同じ文言、すなわち、「被疑者氏名不詳らは、WRI日本部(戦争抵抗者インターナショナル日本部)の構成員又は同調者であるが、共謀の上、天皇陛下に関する誹謗図画を散布し、不特定多数人に踏絵させることを企て、昭和五九年一二月中ごろ某所において、天皇陛下の顔写真入りのはがき大のビラに、天皇陛下の御名である「裕仁」の署名及び御璽を記した文書を転写登載し、もつて御名御璽を偽造したものである。」と記載されており、また、右各請求書の「差し押えるべき物」の欄には、その筆頭に「ビラの印刷に使用した御名御璽の原版、原紙」と記載されており、右各請求書には疎明資料として前記見本ビラ、第三信ビラ及び宮内庁への問い合わせの結果を記載した捜査復命書が添付されていた。

(六)  大阪府警察本部警備部警備第一課所属の司法警察員長谷勝外四名は、昭和五九年一二月二七日、裁判官から発付を受けた本件各捜索差押許可状に基づき、所定の各捜索場所を捜索したが、いずれの場所からもビラの印刷に使用した御名御璽の原版、原紙を発見することができず、原判決添付別紙1の場所から同別紙三記載の物件を、同別紙一記載3の場所から同別紙四記載の物件を、同別紙一記載5の場所から同別紙五記載の物件をそれぞれ差し押さえたにとどまつた。

(七)  しかるところ、被控訴人らは、昭和五九年一二月三一日、本件各捜索差押許可状の発付自体と右許可状に基づく差押処分についてその取消を求める準抗告を申し立てたところ、準抗告裁判所は、昭和六〇年三月五日、捜索差押許可状に基づく捜索差押処分の手続が完了した後は、現にされた差押処分の取消、変更を求めれば足り、もはや右許可状の発付自体を取り消す実益はないから、許可状の発付自体の取消の申立は許されないとして、本件捜索差押許可状の発付自体についての準抗告を棄却したが、本件ビラの御名御璽部分については、刑法一六四条の御名御璽偽造罪が成立する余地はないから、その成立を前提とする前記被疑事実についてその嫌疑ありとして本件各捜索差押許可状を発付したのは違法であり、したがつて、この許可状に基づく本件各差押処分もまた違法であるとしてこれらを取り消した。

2  ところで、捜査官が犯罪捜査のために裁判官に対して捜索差押令状の発付を求めるには、犯罪の捜索をするについて必要があつて、被疑者が罪を犯したと思料されるべき資料を提供しなければならないとされているが(刑事訴訟法二一八条一項、刑事訴訟規則一五六条一項)、右資料は、迅速かつ秘密裡に遂行すべき捜査の性質上、有罪判決を得るに足るものであることを要するものではなく、客観的に犯罪の嫌疑が一応存在することを根拠づけるものであれば足り、逮捕の場合(刑事訴訟法一九九条一項)に比して低い程度の嫌疑をもつて必要十分とされているのであるから、捜査官が右令状の発付を求め又は発付された令状を執行するに際し犯罪の嫌疑が一応存在すると考えたことについて、当時の諸般の状況に照らして著しく合理性を欠き首肯することができないと認められる場合に限り、捜査官の右令状の発付請求及びその執行が違法となるものと解すべきであつて、右令状ないしそれに基づく執行処分が後日の不服申立手続により違法と判断されて取り消され或は被疑事実につき不起訴処分がなされたからといつて直ちにこれが国家賠償法上も違法とされるものではない。

これを本件についてみるに、前記認定事実及び争いのない事実によれば、本件各捜索差押許可状の発付を求める請求は、その請求書の記載からみる限り、本件ビラに御名御璽を転写印刷した行為が御名御璽偽造罪に該当するものとしてなされたものとすべきであるといわざるをえないが、捜査官が右各請求をするに至つた経緯に照らすと、捜査当局は、むしろ主として本件ビラの印刷に使用した御名御璽の原版、原紙の作成行為が御名御璽偽造罪に該当するとの判断のもとに右原版、原紙及び本件ビラ等の押収を目的としていたにもかかわらず、右請求書の被疑事実は右の趣旨と異なり前記のとおり本件ビラそのものに偽造の対象を限定するごとく記載したことが窺われるのである。そこで、検討するに、御名御璽の偽造行為があつたとするためには、通常人をして真正な御名御璽と誤信させるに足る程度の外観・形状を備えていることを要するものと解すべきであるが、具体的な行為が右に該当するか否かは、関係資料の評価に加えて、それ自体法律判断を伴う性質を有し判断者の見解の相違をもたらす余地のあることを否定できないものであるところ、本件においては、前記認定のとおり、本件ビラの御名御璽類似部分は、真正な御名御璽が一辺が九・〇九センチメートルであるのに対して、一辺が約二・五センチメートルであつて極めて小さく、また、黒一色で印刷されたものであり、本件ビラの印刷物としての体裁や記載文章の内容等からみて、あるいは御名御璽に特別の関心と知識を有する者がこれを見れば、右御名御璽部分は不真正なものであると認識するものと解せられるところであるが、他方、右御名御璽の形状が真正なものに酷似しており、それ自体通常人をして真正な御名御璽と誤信する外観を備えていることからすれば、例えこれが黒一色の荒唐無稽な内容の文章に印刷転写されていたからといつて、捜査当局が、捜査の初期の段階において、前記特別の関心と知識を持たない通常人が一見してこれを不真正なものと認識するものとは断定できない、すなわち、本件捜索差押許可状の発付を求めるに必要な嫌疑があると判断したとしても、これが著しく不合理であるとはいえないというべきであり、また、〈証拠〉によれば、本件ビラの御名御璽部分は、罫線の続き具合によつて明らかなとおり、文章部分とは別個独立に作成された原版、原紙を転写印刷したものであることが看取できるのであつて、右原版、原紙については、これが別個独立のものであり、それ自体は通常人をして御名御璽と誤信する外観、形状を備えているものと思料されるのであり、これが専ら本件ビラを作成する目的にのみ作出されたものであることを推認するに足る資料が存したことを認めるに足る証拠はなく、更にまた、〈証拠〉によれば、被控訴人安田の所属する戦争抵抗者インターナショナル日本部は、反戦、反核、反原発の組織活動及び天皇ないし天皇制の批判運動を目的とする団体であつたことから、捜査当局は、本件ビラの御名御璽部分の原版、原紙が他に真正なものとして誤信させる程度の外観・形状を備えて使用される恐れがないとはいえないと判断したものと認められ、捜査当局が右原版、原紙の作成につき行使の目的を有する御名御璽偽造の嫌疑があるとした判断は、あながち不合理で首肯できないものと断ずることはできないというべきである。もつとも、本件各捜索差押許可状の請求は、前記のとおり、本件ビラに御名御璽を転写印刷した行為を被疑事実としてなされているが、仮に右被疑事実自体には嫌疑がないとされたとしても、これと同一性のある犯罪事実につき嫌疑があれば、右許可状の請求又は発付を適法になしうると解する余地がないわけでないから、被疑事実の記載の訂正・変更の要否はともかくとして、捜査当局の前記判断は、本件各捜索差押許可状の発付を求め又は発付された許可状を執行するに際し、当時の諸般の状況に照して著しく合理性を欠き首肯することができないものということはできない。本件各捜索差押許可状の執行によつても、右原版、原紙を発見することができず、結局、捜査当局が当初存在すると認めた嫌疑を裏付ける証拠を押収することができなかつたからといつて、右判断が遡つて違法であるとすることはできない。

3  そうすると、本件各捜索差押許可状の請求及び捜索差押処分が違法なものであるということはできないから、右違法を前提とする被控訴人らの控訴人大阪府に対する本訴各請求は理由がないというべきである。

四次に、被控訴人らは、裁判官のした本件各捜索差押許可状の発付が違法であると主張するので判断する。

1  裁判官がその職務の追行ないしその権限の行使としてした捜索差押許可状の発付が国家賠償法一条一項の規定の適用上違法となるのは、単に右発付につき刑事訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在するというだけでは足りず、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。けだし、裁判は、一定の手続のもとで行なわれる訴訟活動に基づいて一定の判断を下す作用であり、裁判官は、このような判断行為についての職務権限を有するが、この場合における判断は裁判官によつて意見の分れうるような事実上、法律上の問題について結論を選択するという要素を含む可能性が常に存在し、その場合いずれが客観的に正しいかについて決定する基準はないというほかないのであり、したがつて、ある裁判官(裁判所)が正当であるとした判断が後に他の裁判官(裁判所)によつて不当であると判断されたとしても、そのために先の判断行為が判断を受ける者ないし判断によつて身体財産に損失を受ける者に対して当然に違法な判断行為となるわけではなく、国家賠償の原因となる裁判行為の違法性とは、裁判を受ける者ないし裁判によつて身体財産に損失を受ける者に対する関係において、裁判官に対し職務の執行、権限の行使について遵守すべきことを要求している規範に違反して裁判行為がされることをいうものと解すべきであるから、国家賠償法上は裁判官が常に正当な裁判(正確にいえば国家賠償請求事件を審理判断する裁判所が正当であるとした裁判)をすることを裁判官の遵守すべき法的義務として課されているものと考えるのは相当でなく、訴訟法上の救済手続で取り消される裁判をした裁判官は、そのような裁判をしたことにつき過失があるかどうかが問擬されるべきものではなく、そもそも違法な裁判をしたことになるわけではないからである。この理は、裁判官がした裁判のうち争訟に関するものについてのみ妥当するものとすべき根拠はなく、本件各捜索差押許可状の発付もまた前記のとおりの判断作用を内容とする裁判であるから、これが国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為であるとするためには、冒頭に掲記したとおりに解するのが相当である。なお、最高裁判所第二小法廷昭和五七年三月一二日判決・民集三六巻三号三二九頁、同第一小法廷昭和五七年三月一八日判決・裁判集民事一三五号四〇五頁は、要旨、裁判官がした争訟の裁判につき国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任が肯定されるためには、右裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると判示したが、右はいずれも争訟の裁判に関する事案において示された判断であるにすぎないから、右判例が争訟の裁判について判示したからといつて、これに限定して他の一切の裁判についてはこれと異なるとした趣旨に解すべきものではない。

2  そこで、本件についてみるに、本件各捜索差押許可状を発付した裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官が付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があつたことを認めるに足る証拠はないから、例え右発付に訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在し又そのためにこれが是正されたからといつて、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものということはできないというべきである。のみならず、先に認定判断したとおり、本件各捜索差押許可状の発付を求める請求書には、本件ビラの御名御璽部分の転写印刷行為が御名御璽偽造罪に該当するごとく記載されているが、捜査段階でその嫌疑があると判断されたとしてもそれが著しく不合理で首肯できないものではなく、また、右御名御璽部分は文章部分と別個独立に作成されたものを転写印刷したものであることが明らかであつて、そのもととなつた原版、原紙が本件ビラを作成すること以外に行使の目的をもつて作出され、もつて御名御璽偽造の罪を犯したとする嫌疑があるとの捜査当局の判断は、その当時においては著しく不合理で首肯できないものと断ずることはできなかつた状況にあつたのであるから、裁判官が右原版、原紙等を差押物件とする本件各捜索差押許可状を発付したからといつて、その過程で裁判官に故意・過失があつたと断ずることはできないものというべきである。

3  そうすると、本件捜索差押許可状の発付が違法なものであることを前提とする被控訴人らの控訴人国に対する本訴各請求も理由がないことに帰する。

五以上のとおりであるから、被控訴人らの控訴人らに対する本訴各請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がないからこれらを棄却すべきであつて、原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消して右敗訴部分にかかる被控訴人らの本訴各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九三条、九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官今富 滋 裁判官畑 郁夫 裁判官遠藤賢治)

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